2011年12月30日

中間報告(12/30)

 ま、あまり更新しないとスパムが湧いてくるので。
 スパムと更新頻度との関係は分からないが、一つ気になることがある。
 「拡散希望」と冠したエントリが、時折ツイッターなどでまさに「拡散」されているらしく、数週間注目されない状態が続いた後に、急にアクセスが集中することがあるのだが、それはいいとして、そういうことがあると同時にスパムコメントも湧いてくるのである。
 これは、記事が「拡散」されるという事情から、スパムもまた「拡散」されるのを狙っているのか、それとも、見た人がいつもより多く、悪質なユーザーの絶対数もまた多くなるという単純な事実から来るのかは分からない。

 聞いたことがあるのは、そうしたスパムコメントは、「ネトウヨ」と省略されるところの、「ネット右翼」と呼ばれる連中のブログには滅多に湧かないらしい、ということだ。
 それを書いていた人は、だからスパムを送っているのはネット右翼だ、と結論付けていた。まあ、似たようなやつがやっているのだろうとは思うが。

 それにしても、ブログやツイッターも、一長一短というか、感情を吐き出す場所があるということが果たしていいことなのか、という思いがある。
 いわゆる「デモ」もそうだ。
 怒りとか悲しみとか言った感情を、「気軽に吐き出す」場所があるということは、逆にいえばそれを蓄積させ、ある一つの行動へと結実させることを阻害する。

 スパムコメントとか、挑発のコメントを見るたびにアドレナリンが分泌され、書く意欲が湧いてくるという奇特な方もいるが、私はただ疲れるだけだ。
 どうせこのブログを見に来る人は少ないし、スパムが多いようだったらコメント欄の封鎖も考えている。

 ブログをやってみて、一番良かったことは、「急に更新されなくなるブログ」が、なぜ更新されなくなるのかの理由がわかったことだ。
 つまり、理由などないのだ。

 私の周りでネットをやっている若い子などは、「〜さんのブログが更新されなくなった」「何かあったのだろうか」などと騒ぐが、ま、何かあったということもあるのかもしれないが、しかし、急にやめたくなるものだ、ブログなんて。というか、ブログに限らず、何でもそうだ。
 そういうわけで、私としては、「更新されないブログ」を見て、余計な心配などすることが少なくなったし、それはネットサーフィンをしていく上で、多分いいことだろう。

 これが今年最後の「中間報告」だ。
 この記事タイトルは、かつて私が、憧れに似た感情を秘かに持っていた滝田修の地下潜伏報告書に基づいている。
 まあ、裏切られたけど。

 それでは、皆様におかれましては、よいお年を。

 追記 
 いま読み返してみたら、年末に書くにしてはすこし暗い文だが、私自身は全然暗くないのである。むしろ前より明るくなった。
 やっぱりやる気がなくなってきているなあ、と思う。
 ブログの文章が急に暗くなる人はよくあるが、そういう人の中でも、本当に気分が暗くなってきている人と、自分の明るさを使う場所が他に出来た人とに分かれるように思う。
 私の場合は後者の方で、言うなれば陽性の暗さである。

 まあ、年末は鴨そばでも食べて過ごすだろう。

 それじゃ、まあ、年の瀬ですので――不滅にして、すべてに打ち克つマルクス、エンゲルス、レーニン、トロツキーの教え万才!
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posted by 本多革 at 02:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2011年10月17日

〈拡散希望〉江古田駅で、「映画撮影」の若者たちが模造刀を振り回すなどの暴力行為

 本日、江古田駅の、「日本大学芸術学部」につながるほうの出口で、若者が模造刀を振り回して駅の利用客を威嚇し、それを十名程度の若者たちがニタニタしながらビデオカメラで撮影している、という不愉快な一幕があった。
 私はかつての経験から、こうした事柄を駅や警察などに連絡すると、自分が被害者や第三者であったとしても、いくばくかの時間をとられたり、指紋をとられたり、といった事態が発生するということを知っているので(現在もそうであるのかは知らない)、怪我人が出なかったらしいこともあり、110番することも、駅に注意を促すこともしなかったが、ふたたびこのような事態が起こる可能性を考え、このことをブログのエントリにすることを思いついた。
 以下に今日の午後六時頃に江古田駅で起こった、暴力事件の概要を記す。
 ご覧になった方は、口伝えでも何でも構わないので、とくにお年寄りや子供たちにこのことを教えていただきたい。
 怪我をしてからでは遅いのだ。
 「こういうおかしな連中がいる」ということを頭に入れてほしい。
 また、この記事は特に学校関係者、警察関係者、JR関係者に見てもらいたい。

 さて、事件の概要にうつろう。
 今日(10月17日)の午後六時ごろ、所用を終えて江古田駅のあたりまで歩いてきたとき、「ビシッ!ビシッ!」という耳に不快な音が駅の階段のあたりから聞こえてきた。

 何事かとみると、知能が足りないのではないかと思われるほど無表情な男が、模造刀を振り回し、階段の手すりなどを殴りつけていたのだ。
 「ヤク中が暴れているのか」と思ったが、違った。
 男の後ろを見ると、これまたアホっぽい若者たちが、ビデオカメラを手に、ニタニタしながらその様子を記録していたのだ。

 つまり、彼らは何かの「映像」を制作するために、このような行為にうってでていた、というわけなのだ。
 彼らはその行為が、さも「反抗的」「ティーンエイジャー的」「若い力」を象徴するものだ、とでも錯覚していたのだろう。

 馬鹿の骨頂だ。
 「にちゃんねる」などでは、大量殺人犯の加藤智大が「革命家」などと祭り上げられているらしいが、ただの人殺しと政治的テロリストは違う。それと同じように、「反抗」というエネルギーと、ただ暴れまわるという「犯行」とは違うのだ。

 話を戻そう。
 階段には何人か利用者がいたが、一様に驚愕の表情を浮かべていた。
 階段の隣にはエスカレーターが並走しているのだが、そこからも何事かと階段の方を見降ろす人たちの顔がはみ出していた。

 それはそうだろう。
 ヤクザだって、暴力をふるうのにはそれなりの理由があったりするものだ。
 口論→喧嘩→暴力、といった具合に。
 それを、何の理由もなく、無表情で暴れまわる若者と、それをニヤニヤしながら撮影する連中が急にあらわれたら、誰だって混乱するし、恐怖を感ずるだろう。

 私の見た限りでは、刀を持った若者はただ意味もなく暴れているようで、誰かを狙っている、というわけではないようだった。
 つまり、刀を振り下ろす先に人がいまいが、いようが、関係なしに暴れまわっているように見えた。

 そういえば、私が階段を登り終えたとき、女性の声で「刀?」「何かを丸めたんじゃない?」という言葉が聞こえてきた。
 私もしかと見たわけではないので、木刀のように見えたが、即断はできない。
 しかし、「何かを丸め」た模造刀だったとしても、危険なことには変わりはない。
 確かに、真剣でない以上、それが刺さったり当たったりしても、それが原因で死に至るなどという可能性は低いだろう。
 しかし、材質が真剣でなく、木材や紙類だったとしても、それが目に入ったりしたら失明の可能性もあるし、暴れまわる男をよけようとして、階段を転げ落ちてしまう危険性もあるだろう。

 私の目に入った少年などは、眼前を刀がかすめ、危うく階段を転げ落ちそうになっていた。
 彼はバランスを取り戻し、足早に階段を上り去って行ったが、これが子供やお年寄りだったらどうなっただろうか。
 やがて若者は、暴れまわりながら私たちの横も通り過ぎて行った。ニヤニヤとした不愉快な面々も、また。
 つまり、私にも模造刀は当たりそうになった。

 バカ者、失礼、若者たちは、何かの「撮影」を目的として暴れまわっていたことは疑いようがない。
 しかし、江古田駅は許可を出したのだろうか。
 出していなかったとしたらこの暴力に対して抗議すべきであるし、警察との連携も含めた対応をすべきである。
 (ないとは思うが)許可を出していたとしたら、なぜこのような危険極まりない行為を許したのか、撮影を認めるにしても、なぜ一般客のために階段を立ち入り禁止にしなかったのか、様々な疑問がある。

 これは、まったくの暴力行為である。
 学校・駅・警察等は厳重に取り締まるべきだ。
 若者たちの素性だが、写真をとっておけばよかったのだが、あいにくとカメラを持ち合わせていなかった。
 徒歩一分もかからないところに「日本大学芸術学部」があるので、あるいはそこの「映画学科」の連中かな、とも思ったが、断定はできない。
 馬鹿な高校生が、チンケな文化祭かなんかのために暴れまわっていた可能性もある。

 もしも彼らの素性について知っている人がいたら、是非警察や学校に告発してもらいたい。
 また、このような暴力行為に巻き込まれないために、この事実を知りあいの方などに、口伝えなどでもよいので教えてあげてほしい。
 この記事の拡散を希望する。
posted by 本多革 at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2011年10月07日

TBS系「たましいの授業」が青木隆治氏の発言を改竄

 いま、今夜9時から11時までやっているというTBS系の「たましいの授業」という番組を見ていて、不快な事実に気付いた。

 私はその番組を最初から見ていたわけではなく、適当にリモコンをザッピングしていたら、モノマネ芸人の青木隆治氏の「授業」を真剣な面持ちで聴く子供たちの顔に興味をひかれ、数分間見続けていたのだが、その直後におかしなことがおこったのだ。

 「授業」中に、青木氏が「モノマネを人前でやらないように」説くくだりで、「おかしくなったと思われるから」とおどけたのだが、テロップに「面白くなったと思われるから」と表示されていたのだ。
 あれっ、と思った。そして不愉快になった。

 「おかしい」というのは差別用語でも何でもない。
 「差別用語」狩りにすら大きな問題があるのに、差別でも何でもない表現まで「狩」って、何になるというのか。
 あんたたちの言う「たましい」ってこういうことか、見せたくないものは見せない、「よくない」「好ましくない」ことは聞かせない、そうして子供たちの精神を漂白し、個性も情熱もない「ニュートラルで薄っぺらな」精神を大量生産することか、と憤ろしく思った。
 
 もちろん、ケアレスミスの可能性もある。
 しかし、「おかしい」と「おもしろい」とでは、文字数も違うし、音も違う。
 やはり、局で「おかしい」という表現は「差別につながる恐れあり」と決めつけてかかったとしか思えないのである。

 一見たいしたことではないようでもある。
 だが、二時間ものあいだ流され続ける番組の中で、ひとつの言葉が「なかったこと」にされた、これは恐るべきことだ。

 もちろん私は、「青木氏の発言を尊重しろ」などと言いたいのではない。
 そもそもこのくだりは彼のジョークであったし、なんら本質的な発言ではないからだ。

 私は、「言葉狩りを狩る(吉本隆明)」ことを身上とする者の立場から、この言葉狩りに反対する。
 やがて、テレビ局などマスコミの姑息な工作のかいもあって、「差別を知らない」「暴力を知らない」そして「歴史を知らない」「文学を知らない」「人間を知らない」子供たちが「排出(輩出、にあらず)」されてくることだろう。
 一番許しがたいのは、言葉狩りをやっている連中が、さもそのことが「善いこと」であるかのように装っていることだ。

 歴史の中で生まれた言葉を、官僚的・政治的な基準で「削除」することは断じて許されない。
 それは歴史と歴史にまつわる感情を消すことだからだ。
 解放同盟、人権マフィア、偽左翼、偽右翼、そしてそれらに迎合するマスコミ――これらはすべて文学と言葉の敵だ。
posted by 本多革 at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治